二つ月の神話 終

「雛鳥!」

凪が雛鳥を呼んだ。

「行こうか」

凪が言った。

「導いてくれ、我々を」

「ええ」

渡りの民を乗せた幾艘もの舟が陸地を離れていく。

雛鳥には、解放された龍の子達が陸地を走る姿が見えた。走って、走って、やがて龍の子達は龍となり、くるりと回って海へと、雛鳥達の乗る舟へと合流する。

見えない龍達と共に、舟はぐんぐん進んでいった。

二つ月の神話 三(15)

「あんたの身に起きた事は酷い出来事だけど、でも、全ての子供が経験する事でもある」

小波が言った。

「親が、子供を守りきれずに子供の心が傷付けられる。そして子供は親が神様じゃないことを知る」

「雛鳥、あんたの母親は少なくともあんたを愛していた。あんたは“両親を売った子供”じゃない」

「凪も言っていたけど、両親を売った子供ってどういう意味?」

「ああ、曇る土地では使わない言い回しなんだね?渡りの民の言い回しでね、“可哀想な子供”って意味だよ。ずっと昔、本当にあった話でね。両親に売られそうになって、逆に両親を売った子供がいたんだって」

「名無しのあの子は、凪からその昔話を聞いて、自分のことだと思い込んでいた」

「あの子は凪に拾われたんだ。始めて見つけた時、記憶が何もなくてね。きっと記憶をなくしてしまった方が良いくらい酷い目にあったんだろうね。凪は、時々親無しの子供を拾う。あたしやあんたみたいなね。でも、拾って面倒は見ても、親代わりにはならない。あの子は凪に、父親か兄になって欲しかったみたいだけど、そうならない凪のことを恨むようになっていった」

「でも、あの子は両親を売った子供じゃなかった。クス・シイじゃなかった。あの子は二の月の神で、可哀想と言われる子供じゃなく、偉大な神様だった。…でしょう?雛鳥」

二つ月の神話 三(14)

 雛鳥が起きて洞窟の外に出ると、慣れ親しんだ曇る土地の風景は大きく変わっていた。

 双翁山の二つあった山頂が、一つになっていたのだ。

 見えない龍の小鳥が曇る土地の下から解放されたことで、激しい地震が起き、山の一つが崩れてしまったのだろう。

 あれ程大きな山が崩れたのなら、山の側の集落はひとたまりもない。

 雛鳥は、双翁山目指して歩いた。

 双翁山に近づいていくと、人が煮炊きしているらしい煙がいくつも立ち昇っているのが見えた。

 雛鳥が用心深く近づいて窺うと、それは渡りの民の人々だった。

「雛鳥!」

 小波が目敏く雛鳥を見つけて呼び掛ける。

小波!」

 雛鳥はほっとして小波の下へ向かった。

二つ月の神話 三(13)

 雛鳥は洞窟の中を歩き続けた。

 どれくらい歩いただろう。一日か。それ以上か。

 やがて光が見えて、雛鳥は洞窟の外に出た。

 そこは名無し神の住まいの洞窟だった。

 洞窟に名無し神の姿はなかった。

 いつの間にか、雛鳥の背中の重みは消えていた。

 雛鳥は一人だった。

 雛鳥は、土の下に埋めて保存していた壺の中の木の実を取り出し、火をおこして煮炊きをし、一人で食事をとった。食べ終わると、そのまま眠った。

 

 

二つ月の神話 三(12)

 大地が激しく揺れた。

 揺れは長く続き、唸るような大きな音が響いた。巨大な龍の鳴き声だ。
 しかしそんな声も直ぐに雛鳥の耳には聞こえなくなり、気がつけば雛鳥は無音の中、二の月と共に巨大な見えない龍に乗っていた。
 見えない龍は、何重もの雲を突き抜け昇って行く。そして、
「小鳥を解放してくれてありがとう、雛鳥。そして二の月、私の片割れ。私はあなたを許しましょう」
 そんな声が聞こえて、見えない巨大な龍は雛鳥達を置いて、光の中に飛び去っていった。
 光が消え、再び雛鳥は暗闇の中に取り残されていた。
 雛鳥は暗闇の中を歩いていった。
「良かった、これで僕は呪いから解放されたんだ」
 背中でそんな声が聞こえた。
 それっきり声は聞こえなくなり、ただ、雛鳥が背負っていた体が重くなった。

二つ月の神話 三(11)

「雛鳥、雛鳥」
 それは小波の声だった。
小波!」

「雛鳥、そこにいるのかい?渡りの民皆で助けにきたよ!大祭に参加していた曇る土地の者達は、凪達が既に包囲してる」
「どうして?私は龍の子を逃がしたのに」「どうせ海には連れていけないって凪が言ってね。それにあんな悪さくらい、凪は慣れているよ。凪は親無し子をよく引き取るんだけど、しょっちゅう面倒を起こすんだ。私だってもっと酷いいたずらをしたもんだよ」

「まあ、責任を感じているんだったら、戻ってきて」

「だったら小波、渡りの民も、曇る土地の民も、今すぐここから離れて!この下にいる見えない龍が天に戻るの。もうすぐこの山は無くなるわ」
「何だって?あんたはどうするの」
「心配ないわ。とにかく、早く逃げて」
「わかった、凪に伝える」
小波はそう言って、声は聞こえなくなった。
 そして、ドオンという音が辺りに響いた。
 グラグラと地面が揺れる。
「さあ、小鳥を一の月の神に返すよ」
 二の月の神がそう言い、揺れは一層激しくなった。
 辺りは暗く、何も見えない。
 不意に、地面が無くなったように足が浮いた。
 飛んでいるのか。墜ちているのか。進んでいるのか。止まっているのか。
 何もわからないまま、雛鳥は二の月の手を握りしめた。

 

二つ月の神話 三(10)

 名前を取り戻した二の月の神は笑った。
「僕は地上を放浪していて、名前を失くしてしまったんだ。でも今、僕は名前を取り戻した!」
「さあ、ここから出よう」
 二の月の神は言った。
「待って、この巨大な見えない龍を、助けて」
 雛鳥は言った。
「この巨大な見えない龍の名前は、小鳥。一の月の神の小鳥なんでしょう?」
「ああ、そうさ。こいつに呪われて、僕は名前をなくしたんだ」
「じゃあ、この小鳥を一の月の神に返して、仲直りをして」
「でも、この小鳥は曇る土地の下にいる。小鳥を助けたら、曇る土地も無事ではすまないよ」
 二の月の神は言った。
「君は曇る土地に復讐したいの?」
「違う、救いたいの」
 雛鳥は言った。
「このまま小鳥を放っておいたら大祭は続き、踊り子は死んでいく。曇る土地はそれを選び続ける。それにこの小鳥はこの土地に縛られて苦しんでいる。龍は流れる生き物。ここに止め続けている方が曇る土地にとっては危険よ」
「今までの踊り子は、曇る土地を守る為、この小鳥を殺そうと戦ってきたんじゃないの?それを無駄にして、本当にいいの?」
「無駄じゃないわ」
 雛鳥は言った。
「小鳥を殺す為じゃない、小鳥を解放するの。それが踊り子の意思よ。最後の踊り子の私がそう決めたの」
「それは君が勝手に作った物語だ」
 二の月の神は言った。
「雛鳥らしいや」
 二の月の神は、雛鳥の手を取った。
「それじゃあ、行こう」

 

二つ月の神話 三(9)

 名前のない少年は、暗闇の中で誰かの声を聞いた。
「…目を開けて」
 少女の声だ。だが、自分に対して言ったわけではないのだろう。少女は自分の名前を呼んだではないのだから。名前のない少年はそう考えた。
 
 ***
 
 雛鳥は倒れているクス・シイを見つけて呼び掛けた。
 しかし返事はない。
 とにかく、ここから出なければ。
 雛鳥は、クス・シイを背に負って歩き出した。
「クス・シイ、クス・シイ…」
 歩きながら、雛鳥は何度も名前を呼んだ。すると、背中のクス・シイがゆっくりと首を振った気配がした。
「僕はクスでもシイでもない」
 そう呟いた。
「僕は誰?」
「あなたは、」
 雛鳥はその時、母が語った神話を思い出した。
「あなたの名前は、二の月の神」
 雛鳥は、はっきりとそう言った。
「昔々、今の世界が創られる前、全ての神々は対になって生まれた。昇る神と降る神、留まる神と流れる神、広がる神と固まる神、という風に。でもある時、独りで生まれた神があった。その独り神は満たされず、他の神々を食べていった。全ての神々を食べ尽くして、世界そのものとなった独り神は、眠りについた。世界は夜となった。その夜の中からふくろうが生まれた。ふくろうは二つの神の卵を生んだ。その二つの卵から生まれたのが一の月の神と二の月の神。二つ月の神々は、眠る独り神を殺し、新たに世界を創造した。独り神の体で大地を、独り神の血で海を、独り神の心臓で太陽を創った。こうして新しい世界は創られた。
 ある時、二の月の神は大地に種を蒔いた。しかし一の月の神の飼っていた小鳥が、種を食べてしまった。怒った二の月の神は小鳥に石をぶつけ、動かなくなった小鳥を大地に埋めた。そしてその上に種を蒔き直した。小鳥を失った一の月の神は悲しみ、怒り、それから一の月の神と二の月の神は仲違いをするようになった。一の月の神は天に、二の月の神は地に別れた。そして二の月の神の地上での放浪の旅が始まった」
 雛鳥は、二つ月の神話を語った。
「そうだ。僕は二の月の神だ」
 雛鳥の背中で、そう呟く声が聞こえた。

 

二つ月の神話 三(8)

 雛鳥は、祭壇の上で踊り続けていた。
 雛鳥は長い踊りの中で、体力が奪われていくのを感じた。一方巨大な龍は少しの疲れも見えなかった。
 覚えた長い踊りももうすぐ終わる。そこからは雛鳥自身が踊りを続けなければならない。
 祭壇の血の染みが雛鳥の目の端に映った。
(クス・シイ…)
 クス・シイはきっと、雛鳥を助けようとしてここにきたのだ。そして巨大な龍に食べられた。そのことを考えると、雛鳥は震えるほど怖くなった。
 クス・シイは死んだのだろうか?
 まだ、死者の国の手前で踏み止まってくれていれば…。
 雛鳥の剣が、見えない龍の鼻先を切った。
 巨大な龍が、吠える。
 雛鳥は、ふくろう神の頬を切ったことを思い出した。この剣でなら、傷をつけることができる。
 しかし、このままこの場所で戦い続けても、勝ち目があるとは思えない。
 ならば、習った踊りの振り付けが終わる前に、龍の動きが予測できる内に。
 雛鳥は、龍の口の中に飛び込んだ。
 龍は、繰り返す生き物。巡る生き物だ。季節のように、水のように、風のように。
 しかし、この巨大な龍は、洞窟から首を出し、もがくように暴れているだけだ。
 流れることが出来ずに、ここに留められているのだ。それは何故か?
 その答えを、雛鳥は探さなければならない。

二つ月の神話 三(7)

 クス・シイは洞窟の中を歩いていた。
「おやおや」
 クス・シイの前にそう言って現れたのは、一人の老人だった。
「あなたは誰?」
 クス・シイは尋ねた。
「名前がない者だよ」
 老人は答えた。
「ここはどこ?」
 とクス・シイはまた尋ねた。
「ここは、皆がいつかは通る道だよ」
 老人は言った。
「私はずっとここを通りたかったのだけど、通れなかったんだ」
 老人は悲しそうに言った。
「まあ、どこまで行けるか、一緒に行こうか」
 老人の言葉に、クス・シイは頷いて一緒に歩き出した。
「何故名前がないの?」
 クス・シイは聞いた。
「名前を忘れたからだよ」
 老人はそう言って語り出した。
「昔々、私には父と母と兄弟達があった。父と母は子供達が好きではなかったので、誰にも名前はつけられなかった。
それで、私は一番仲の良い兄弟とお互いの名前をつけあった。
ある日、父と母は子供達を売ることに決めた。次々と兄弟達が売られていった。私の一番仲の良い兄弟も売られてしまった。次に売られるのは私だと思い、私は逆に両親を売ってしまおうと決めた。私は両親が盗みを働いていることを密告した。両親は捕まり、罰として奴隷に落とされ、遠くに売られていった。私は密告料として剣を貰い、家族のいなくなった家でたった一人、暮らした。やがて寂しくなり、仲の良かった兄弟を取り戻そうとしたが、その時には兄弟はもう死んでしまっていた。私の名前を呼ぶ者はいなくなったので、私は名前を忘れてしまった。
…もう、百年も昔の話だ」
 老人の話を聞く内に、クス・シイは青ざめていった。
「それはクスとシイの話だ」
 クス・シイは言った。
「ああ、そうだ」
 老人は言った。
「思い出した。私の名前はシイ。仲の良かった兄弟の名前はクスだった」
 老人は、クス・シイの方を見て、嬉しそうに言った。
「君は私の無くした名前を持ってきてくれたんだね。私は自分が誰か分からず、ずっとさ迷っていた。でもこれで兄弟の所へ行ける」
 老人がそう言って見やった洞窟の先には、人影があった。
 老人はその人影に向かって、真っ直ぐ進んでいった。
 いつの間にか老人は、老人ではなくなっていた。
 二人の少年、クスとシイは、手を取り合い、洞窟の奥に消えていった。
「待って!」
 クス・シイはそう言って二人を追いかけようとしたが、足元の石に躓いて転んでしまった。
 クス・シイが顔を上げた時には、辺りは真っ暗で、何も見えなくなっていた。
「僕の名前を持っていかないで」
 自分をクス・シイだと思っていた少年は、暗闇の中でそう言った。
「僕は一体誰なんだ」