二つ月の神話 一(8)

 雛鳥はふわふわとした気持ちでいたので、大祭の記憶はひどくぼやけていて、曖昧だった。

 ただ、夕空の雲が、桃色、黄、橙、赤、紫、銀、金、青、紺、黒と、溢れる様に色とりどりにたなびいて美しかったことは、覚えている。

 いつの間にか、雛鳥の乗る神輿は地面に降ろされており、双翁山の麓の洞窟の前に到着していた。

 神輿から外を窺えば、薄暗い中、洞窟の前に設えられた舞台の周りに、すでに松明の火が焚かれていて、熊と人間との決闘が始まろうとしていた。

 何本もの縄に引きずられ、舞台に出された一頭の熊は、耳をつんざくような唸り声を上げていた。

 熊が上げる悲鳴に、雛鳥は耐えられずに目を背けた。雛鳥は神輿から抜け出した。

 少しでも熊の声から遠ざかろうと歩いて、その時、何かが見えた気がして、雛鳥は崖の方へ向かった。

 崖の下を覗いて。

 そして、足を滑らせ、崖から落ちたのだ。

 冷たい空気が雛鳥の顔にぶつかる。口や鼻を塞ぐ。

 息が出来ない。

 真っ暗だ。何も見えない。

 雛鳥は恐怖のあまり、目を瞑ってしまっていたのだが、混乱して、自分でその事に気がついていなかった。

 その時、頭上から声が聞こえた。

「雛鳥、目を開けて!」

「お母さん!」

 それは母の声だった。雛鳥は目を開けた。

 周りに沢山の空を飛ぶ蛇が見えた。暗い谷の中、雛鳥の目には、それがはっきりと見えた。燦然と輝く星のように。霧の冷たさを、肌で感じられるように。

 雛鳥には確かに、自分の周りを飛ぶ無数の蛇を目で見ることができた。

 雛鳥は空中でもがきながら、幾筋も走る小さな蛇達を手繰り寄せ、掻き分け、まるで泳ぐように蛇の群れの波に乗り、一際大きな蛇に近づくと、その背に飛び込んだ。

 雛鳥の体は、一度大蛇の背に深く沈むと弾んで、そのまま大蛇に運ばれて空を飛んだ。

 その大蛇は、神の風だったのだ。

 雛鳥は大蛇に乗って、どこまでも高く昇っていった。