二つ月の神話 一(10)

 ぐるりの山々の方角を目指して、雛鳥は山の中を歩いた。

 もう見えなくなっていたはずの空を飛ぶ蛇は、今やそこら中に見えていた。 また、空を飛ぶ大蛇に乗れば、囲いの集落に速く辿り着くかもしれない。しかし空の上で見たことを思い出すと、恐ろしくてとてもまた試す気にはなれなかった。

 途中、雛鳥は山の急な斜面から下を見下ろして、首に千切れた紐を巻き付けた熊を見かけた。大祭で戦士と決闘をするはずだった熊だ。

 熊が狂ったように走り去って行くのを見送りながら、熊が生きていたことにほっとすると同時に、不安になる。

 大祭はどうなったのだろう。

 一体自分はどこを歩いているのか。もう一生山から抜け出せないんじゃないかと不安になってきた時、雛鳥は轟々と荒れる川に出た。水かさが増して川に浸かった木の、水面から辛うじて出ている幹の部分に、見慣れた印が刻まれているのが見えた。囲いの集落の印だ。この川は、囲いの集落の側を流れる小川に通じている。

 雛鳥は元気を取り戻し、荒れる川に巻き込まれないよう十分距離を取りながら、注意深く川の流れを辿っていった。

 時々、野苺を摘まんで空腹を誤魔化しながら、雛鳥は歩き続けた。
 しばらくすると、囲いの集落の印が刻まれた木を、また見つけた。一本だけではなく、周辺の複数の木に印が刻まれていたので、近くに何かあるのだろうと、その辺りを探索してみると、誰かが建てた狩り小屋を見つけた。嵐にも壊されず残っていたその狩り小屋は、中々しっかりと造られていて、普通の家としても使えそうだった。雛鳥はそこで休憩を取った。裸足で歩き続けた為、足の裏は泥だらけで、泥を取ると血が滲んでいた。靴もなくここまでよく歩けたものだった。もう歩きたくなかったが、そうもいかない。雛鳥は妙な焦燥感に駆られていた。

 再び歩き出し、やがて、雛鳥もよく知る懐かしい景色の場所までやって来た。
 獣道ではない、人間が使う道、囲いの集落へ続く道。

 もうすぐ囲いの集落に辿り着く。
 それなのに、雛鳥は嫌な予感のようなものを感じていた。

 頭が痛い。ズキズキする。

 雛鳥は、囲いの集落が一望できる場所に立った。

 そこは、雛鳥が昔、山菜採りをしていて、空を飛ぶ大きな蛇を見た場所だった。

 豪々という音が響くその場所には、集落がなかった。

 濁った川が唸りを上げていた。

 ぐるりの山々の一部が崩れ、集落のあった場所に大量の土砂が覆い被さり、更に茶色い水が雪崩れ込んで新しく大きな川が生まれていた。

 雛鳥の故郷である囲いの集落は、壊滅していた。