「雛鳥!」 凪が雛鳥を呼んだ。 「行こうか」 凪が言った。 「導いてくれ、我々を」 「ええ」 渡りの民を乗せた幾艘もの舟が陸地を離れていく。 雛鳥には、解放された龍の子達が陸地を走る姿が見えた。走って、走って、やがて龍の子達は龍となり、くるりと回…
「あんたの身に起きた事は酷い出来事だけど、でも、全ての子供が経験する事でもある」 小波が言った。 「親が、子供を守りきれずに子供の心が傷付けられる。そして子供は親が神様じゃないことを知る」 「雛鳥、あんたの母親は少なくともあんたを愛していた。…
雛鳥が起きて洞窟の外に出ると、慣れ親しんだ曇る土地の風景は大きく変わっていた。 双翁山の二つあった山頂が、一つになっていたのだ。 見えない龍の小鳥が曇る土地の下から解放されたことで、激しい地震が起き、山の一つが崩れてしまったのだろう。 あれ程…
雛鳥は洞窟の中を歩き続けた。 どれくらい歩いただろう。一日か。それ以上か。 やがて光が見えて、雛鳥は洞窟の外に出た。 そこは名無し神の住まいの洞窟だった。 洞窟に名無し神の姿はなかった。 いつの間にか、雛鳥の背中の重みは消えていた。 雛鳥は一人…
大地が激しく揺れた。 揺れは長く続き、唸るような大きな音が響いた。巨大な龍の鳴き声だ。 しかしそんな声も直ぐに雛鳥の耳には聞こえなくなり、気がつけば雛鳥は無音の中、二の月と共に巨大な見えない龍に乗っていた。 見えない龍は、何重もの雲を突き抜け…
「雛鳥、雛鳥」 それは小波の声だった。「小波!」 「雛鳥、そこにいるのかい?渡りの民皆で助けにきたよ!大祭に参加していた曇る土地の者達は、凪達が既に包囲してる」「どうして?私は龍の子を逃がしたのに」「どうせ海には連れていけないって凪が言って…
名前を取り戻した二の月の神は笑った。「僕は地上を放浪していて、名前を失くしてしまったんだ。でも今、僕は名前を取り戻した!」「さあ、ここから出よう」 二の月の神は言った。「待って、この巨大な見えない龍を、助けて」 雛鳥は言った。「この巨大な見…
名前のない少年は、暗闇の中で誰かの声を聞いた。「…目を開けて」 少女の声だ。だが、自分に対して言ったわけではないのだろう。少女は自分の名前を呼んだではないのだから。名前のない少年はそう考えた。 *** 雛鳥は倒れているクス・シイを見つけて呼び…
雛鳥は、祭壇の上で踊り続けていた。 雛鳥は長い踊りの中で、体力が奪われていくのを感じた。一方巨大な龍は少しの疲れも見えなかった。 覚えた長い踊りももうすぐ終わる。そこからは雛鳥自身が踊りを続けなければならない。 祭壇の血の染みが雛鳥の目の端に…
クス・シイは洞窟の中を歩いていた。「おやおや」 クス・シイの前にそう言って現れたのは、一人の老人だった。「あなたは誰?」 クス・シイは尋ねた。「名前がない者だよ」 老人は答えた。「ここはどこ?」 とクス・シイはまた尋ねた。「ここは、皆がいつか…
雛鳥が夢から覚めると、大祭はもう始まっていた。 洞窟の前の祭壇で、熊の生け贄が血を流して倒れていた。 いや、熊ではなかった。それはクス・シイだった。 大祭の戦士が、クス・シイの体を洞窟の中に投げ入れた。 そのことに気が付いた時にはもう、雛鳥は…
クス・シイは大祭の舞台に立っていた。 目の前に梟の羽の模様のような刺青を顔一面に施している男がいた。 男は手に剣を持っていた。 クス・シイは何の武器も渡されていない。 クス・シイはその時になって漸く気が付いた。 クス・シイは大祭の戦士としてここ…
雛鳥は夢を見ていた。 夢の中で空を飛び、雛鳥は再びあの神の前にいた。「籠目も、あなたと同じ年の頃、よく夢の中で私に会いに来たわ」 神は言った。「籠目…」 雛鳥は、よく知る人の顔を思い浮かべた。「それは私の母の名よ」 神は頷いた。「あの嵐と洪水は…
クス・シイは、曇る土地の中で最も影響力のある玉作りの集落の長、狢の前にいた。「お願いだ。雛鳥を解放して欲しい。大祭なんてもう何年も行われなかったのに、今さら女の子を生け贄にまでして何の意味があるんだ」 「雛鳥は曇る土地の仲間じゃないのか?」…
クス・シイは過去を振り返り、そして決めた。 雛鳥を何とかして助けよう、と。 クス・シイは迷ったが、覚悟を決めて渡りの民の野営地へ向かった。 「クス・シイが戻って来たぞ!」 渡りの民は、今にも掴みかからんばかりの様子だったが、小波がそれを止めた…
クス・シイの両親は、どちらも天涯孤独で、その為助けてくれる身内もおらず、お互いに会うまで一人で生きてきたのだという。 二人はどちらも相手のことを自分の半身のように感じ、お互いのことを大切に思い、そしてお互い以外のことは、自分の子供達でさえ、…
雛鳥は、水面から顔を出した。「雛鳥!」 クス・シイは雛鳥を水から引き上げて、ゴホゴホと咳き込む雛鳥に手を貸した。「こんなに澄んだ水なのに、飛び込んだ雛鳥の姿が全く見えなくなったからびっくりしたよ。それに何だか急に天気も悪くなってきたし…。と…
「私は、生け贄だったのね」 雛鳥は言った。 本当は、心のどこかで気が付いていたのだ。気が付いていて、見ないふりをしていた。 雛鳥の母は、奴隷だった。生まれつき右足が不自由だった父は、嫁の来てがなく、渡りの民から奴隷の母を、自分の作った壺と交換…
雛鳥とクス・シイとコダマは、双翁山の麓を何日もさ迷い続けた。 不思議と食べ物にも枯れ木にも困らず、何かしら見つけて夕方には火をおこして調理をし、食べた。 その内に、コダマが行きたがらない場所があることに気が付いた。「きっとそこに天の湖がある…
「凪は信用できない。ここを逃げ出しましょう」 凪の天幕を出ると、雛鳥はクス・シイに会い、そう耳打ちした。「でも、どうやって?昨日みたいに直ぐ馬で追いかけて来て連れ戻されるよ」 クス・シイも声を落として、言った。「だから、全部逃がすのよ」 雛鳥…
翌朝、慌ただしい朝の仕事を終えてから、雛鳥は凪のいる天幕に入った。「水瓶を割ってしまったそうだね」 雛鳥の顔を見るなり、凪が言った。「ごめんなさい。でももう片付けたし、それにあれは、私のものよ。元々私の父が作った、母への贈り物なんだから…」…
雛鳥は再びクス・シイの背に掴まり、コダマに乗って渡りの民の野営地へと帰った。「どうして遠出しちゃいけなかったんだろう」 龍の子から降りる時、雛鳥がそう呟くと、「そりゃあそうさ」 クス・シイは言った。「僕らは奴隷だもの。気が付いてなかったの?…
「雛鳥、ちょっと遠出しない?」 クス・シイが雛鳥にそう言ってきたのは、寒さがいくらか弱まり、雪が溶け始めた頃だった。 クス・シイは、コダマ、という名の龍の子にひらりと乗ると、未だに一人では龍の子に乗れない雛鳥に手を差し伸べた。「乗れよ」 常に…
雛鳥は、小波から渡りの民の言い伝えについて聞いた。 渡りの民は、昔は船に乗って、見えない龍の力で海を渡り、あちこちの島や陸を繋ぐ交易をしていたらしい。 しかし、ある時見えない龍が荒れ、嵐が起きてこの地に流された。この地の周りの海は見えない龍…
「凪を信じちゃいけない」 凪との話を終えて天幕から出てきた雛鳥に、クス・シイが言った。 そして雛鳥が言葉を返す前に、その場を去った。 後から出てきた小波が雛鳥に言った。「どうしたんだい?」「何でもないわ」 雛鳥は答えた。 それから雛鳥は、冬の間…
天幕の中には、男が一人いた。雛鳥が想像していたよりもずっと若かったが、それでもすぐにその男が長だとわかった。雛鳥を見て、曇る土地の集落の長達がするのと同じような笑みを向けたからだ。「凪、新しい仲間を連れてきたよ。えーっと、あんた、名前はな…
「この生き物は何なの?」 道すがら、雛鳥は小波に聞いてみた。「何だい、知らないのかい」 小波は笑って言った。「龍の子さ」「龍…?」 雛鳥は聞き返した。「ああ。龍も知らないんだね。龍っていうのは、空を飛ぶ大きな蛇みたいなものだよ」 それを聞いた雛…
森を歩いていると、悲鳴が聞こえた。 声の聞こえた方へ行けば、クス・シイがいた。 クス・シイは、熊に襲われていた。 雛鳥は、何故だかその熊が、大祭の生け贄になるはずだった熊だとわかった。 もう、首に縄は付けていないのに。 雛鳥は、剣を振り上げて熊…
曇る森を抜けた西の土地には渡りの民と呼ばれる人々が暮らしている、と雛鳥は聞いたことがあった。「渡りの民は、神々を恐れない」 曇る土地の人々は、そう言って渡りの民を嫌っていた。 しかしだとすれば、今の雛鳥にとって最も頼りにするべき人々なのでは…
指は幸いにも動かせるようになり、雛鳥は名無し神の下を去ることにした。「君は帰る場所が無いんだろう?好きなだけここにいればいいのに」「でも、私は戦わなければいけない相手がいるの。傷も治ったし、行かなければならない」「剣を持っていない君が戦う…