二つ月の神話 一(6)

 祭りが終わり、日の落ちた頃合いに、長の使いが雛鳥の家を訪ねて来た。

 焚き木の束を土産に持ってやって来たのは、雉(きぎ)という名の、雛鳥より四つ年上の長の息子の新妻で、雛鳥の母を長の家に呼びに来たのだという。

「あなたは囲炉に火を入れて、ここで待っていなさい」

 雉は、焚き木を雛鳥に手渡してそう命じると、母と共に家を出て行った。

 それで雛鳥は家で一人、火の番をしながら、母の帰りを待っていた。

 蛙の鳴く声が、五月蝿い夜だった。

 母は中々戻らず、雛鳥は次第に眠気に誘われ、うつらうつらとし出した。

 騒がしかった蛙の声が不意に止み、辺りは静寂に包まれた。

 突然、隣の家の犬が吠え出して、雛鳥ははっと意識を戻した。

 吠え続けている犬を、隣の家の末の子の百舌鳥(もず)が、宥める声が漏れ聞こえてくる。

 どうやら、犬が見慣れていない誰かが来たらしかった。雛鳥はいぶかしみながら、戸口の外へと様子を見に行った。

 集落の中央から雛鳥の家に向かって、松明の火が近づいて来るのが見えた。月があるのに松明を使うなんて、随分と大袈裟なことだ。そう思いながら雛鳥が見ていると、松明を手に持ち、こちらに近づいて来たのは雛鳥の母で、何と母は、後ろに囲いの集落の長と長老の一人を後ろに連れて、家に戻って来たのだった。

 ぽかんとしている雛鳥の目の前までやって来た一行の中から、長の長鳴きが進み出て、気さくな調子で雛鳥の頭に手を置くと、

「雛鳥、お前のお母さんにはすでに話したのだが、お前に話があって来た。ちょっと火に当たらせてくれるか」

 とそう言って、雛鳥がまだ返事を返せないでいる内に、長老を伴い家に入っていった。

 母は、長らく使われていなかった家の前の傾いた松明立てに、どうにか上手く松明を立て掛けようと苦心しながら、

「お母さんはここで松明の火を見張っているから、あなたは家に入って、長老様達のお話を伺ってきなさい」

 と言った。

 雛鳥は、母に言われるままに家に入ると、恐る恐る、すでに座している長と長老の向かいに座って、共に火を囲んだ。

「大祭の踊り子が、お前に決まった」

 雛鳥が座って間もなく、唐突に長の長鳴きは、そう雛鳥に告げた。

 突然の長の言葉に、雛鳥は驚いて何も返事を出来ずにいたが、長はそんな雛鳥の様子を気にせず、話を進めた。

「大祭のことは、お前も知っているな?」

 雛鳥はやっと、「はい」とだけ返事をした。

 大祭とは、曇る土地を創ったという天の神・曇る神に捧げる、特別な祭りだった。

 大祭は、壺割り祭りのように、囲いの集落でのみ行われている祭りとは違い、曇る土地の全ての長老と長が参加する、特別な祭りだった。年に一度、夏の短い一夜に、双翁山の麓の洞窟の前で行われていたその祭りは、戦士に選ばれた一人の男による熊との決闘と、踊り子に選ばれた一人の女による踊りが披露されていた祭りなのだという。しかし、大祭が行われていたのは雛鳥が生まれるよりも前のことで、今はもう、途絶えてしまった祭りの筈だった。

 長老が、やおら口を開き、言った。

「先だって、長老らによる会合が開かれてな。その席で、我々長老は、大祭の復活を決めたのだ」

 長老は、嗄れた、それでいてよく通る声でそう言い、続けた。

「ここ数年。曇る土地の冬は厳しくなり、木の実の収穫は減った。しばしば大地は揺れて裂け、神の風が吹き荒れ大雨が降り、山は崩れ、川は幾度も氾濫を起こした。全て、大祭を途絶えさせたのがいけなかったのだ。曇る土地をお創りになられた天の神が、怒っておられる。そこで我らは、大祭復活を決めたのだ」

 長老はそこで、雛鳥に目を向けた。

「我ら三人の長老がこの集落の祭りにやって来たのは、他の長老達からの付託を受け、大祭の踊り子を見定める為だ。そして我ら三人は、大祭の踊り子にお前を見定めたのだ」

 そこで長老は黙ってしまったので、長の長鳴きが話を引き取った。

「大祭の踊り子に選ばれた者は、一年かけて神の踊りを覚える為に、家を離れ、踊りの師と共に暮らして踊りを習う仕来たりだ。そこでここにおられる長老の一人、蝦蟆(がま)様が、ご自身の集落に帰るついでに、踊りの師の所まで、お前を送り届けて下さることになった。急な話ではあるが、明日の夜明けには出発することになる」

 長の長鳴きはそう言うと、更に話を続けた。

「お前の母の了承はもう取ってある。だから後はお前次第だ。ああ、お前の家のことは心配するな。私達が面倒を見るし、踊り子に選ばれた者の家には、曇る土地の集落中から祝いの品が送られる。もう暮らしに困ることはなくなるだろう。何より、これは名誉なことだ。大祭には、曇る神が降りてくる」

「天の神の前で踊れるのだぞ」

 その言葉で、雛鳥の心は決まった。

 雛鳥は頭を下げ、

「慎んでお引き受け致します」

 そう言った。

 松明の火に照らされ、家の中に長く伸びた戸口に立つ母の影が、僅かに揺らいだのが、頭を下げた雛鳥の目の端に映った。

***

 その日の夜、雛鳥と母はいつものように蓙の上で身を寄せ合って横になった。

 母は雛鳥を抱き締め、耳許で、雛鳥の知らなかった話を教えてくれた。

「お母さんはね、雛鳥。あなたと同じ位の歳の頃、大祭の踊り子に選ばれるのが夢だったのよ。でも、結局選ばれることのないまま。大祭は行われなくなってしまった」

 母は言った。

「あなたがお母さんの代わりに踊り子に選ばれて、暫く会えないのはとても悲しいけれど、とても嬉しいわ」

 次の日の朝、雛鳥は長老の蝦蟆と、その供として囲いの集落に来ていた蝦蟆の末の息子の蝦蚪(かと)と共に、三人で囲いの集落を出た。

 雛鳥の母は、目を赤くしながらも、笑顔で雛鳥を見送ってくれた。