二つ月の神話 三(9)

 名前のない少年は、暗闇の中で誰かの声を聞いた。
「…目を開けて」
 少女の声だ。だが、自分に対して言ったわけではないのだろう。少女は自分の名前を呼んだではないのだから。名前のない少年はそう考えた。
 
 ***
 
 雛鳥は倒れているクス・シイを見つけて呼び掛けた。
 しかし返事はない。
 とにかく、ここから出なければ。
 雛鳥は、クス・シイを背に負って歩き出した。
「クス・シイ、クス・シイ…」
 歩きながら、雛鳥は何度も名前を呼んだ。すると、背中のクス・シイがゆっくりと首を振った気配がした。
「僕はクスでもシイでもない」
 そう呟いた。
「僕は誰?」
「あなたは、」
 雛鳥はその時、母が語った神話を思い出した。
「あなたの名前は、二の月の神」
 雛鳥は、はっきりとそう言った。
「昔々、今の世界が創られる前、全ての神々は対になって生まれた。昇る神と降る神、留まる神と流れる神、広がる神と固まる神、という風に。でもある時、独りで生まれた神があった。その独り神は満たされず、他の神々を食べていった。全ての神々を食べ尽くして、世界そのものとなった独り神は、眠りについた。世界は夜となった。その夜の中からふくろうが生まれた。ふくろうは二つの神の卵を生んだ。その二つの卵から生まれたのが一の月の神と二の月の神。二つ月の神々は、眠る独り神を殺し、新たに世界を創造した。独り神の体で大地を、独り神の血で海を、独り神の心臓で太陽を創った。こうして新しい世界は創られた。
 ある時、二の月の神は大地に種を蒔いた。しかし一の月の神の飼っていた小鳥が、種を食べてしまった。怒った二の月の神は小鳥に石をぶつけ、動かなくなった小鳥を大地に埋めた。そしてその上に種を蒔き直した。小鳥を失った一の月の神は悲しみ、怒り、それから一の月の神と二の月の神は仲違いをするようになった。一の月の神は天に、二の月の神は地に別れた。そして二の月の神の地上での放浪の旅が始まった」
 雛鳥は、二つ月の神話を語った。
「そうだ。僕は二の月の神だ」
 雛鳥の背中で、そう呟く声が聞こえた。