二つ月の神話 一(3)

 雛鳥の父は、雛鳥の物心がつく頃にはもう、亡くなっていた。

 その為、幼い頃の雛鳥は、父が残した集落の北端の家に、母と二人きりで暮らしていたのだった。

 雛鳥と母の暮らした家は、男手がなかった為に修繕が行き届いておらず、いくらかみすぼらしかったものの、つくり自体は他と変わらない家だった。

 葦でできた家の中には、蓙が敷かれ、中央には囲炉が設えられてあった。囲炉の上ではいつも、吊るされた魚が煙で燻されていて、煙を逃がす為に開けられた奥窓から外に目を遣れば、裏庭で育てている小さな豆畑が見えた。家を支える栗の木の柱には、雛鳥の父が昔彫ったのだという、家神を祀る紋様が刻まれていた。

 父のいない分、雛鳥はまだほんの幼い内から、家のことを沢山手伝う必要があった。その為、集落の他の家の子供達が外で遊んでいる時も、雛鳥だけは皆と一緒に遊べない、ということがよくあった。

「雛鳥は大変だね、お父さんがいなくって」

 この頃、集落の同じ年頃の子供達は、そう言って雛鳥に同情したものだったが、雛鳥自身は、自分の境遇を不幸だと思ったことはなかった。

 大好きな母の手伝いができることを、雛鳥は嬉しく思っていたし、それに手伝いをする雛鳥を、母はいつも気遣ってくれていた。

 幼い頃の雛鳥は、母に大切に想われているというそれだけで、世界の全てを手に入れたかのように満たされていた。

 雛鳥と母は、昼は売る為の籠を編みながら、夜は囲炉の火にかけた鍋の中の汁を交代でぐるぐるとかき混ぜて、火の明かりに照らされた顔を近付けながら、二人でいつまでもお喋りをしたものだった。

 火から生じる煙が奥窓から外に流れていくのを眺めながら、母は時々、亡くなった父のことを、雛鳥に話してくれた。

「あなたのお父さんはね、雛鳥。生まれつき、右足が不自由だったの。そのせいで、狩りがあまり上手にはできない人だったわ。だけどその代わり、壺作りのとても良い腕を持っていてね。お母さんをお嫁に貰う時も、立派な壺を作って、お母さんに贈ってくれたのよ」

 こんな風に父について語る時。母の声はひどく穏やかで、その横顔は、幸せそうにも、寂しそうにも見えた。父との思い出に浸る母が醸し出す、その空気を共有する一時が、雛鳥は、好きだった。

「それはどんな壺だったの?」

 雛鳥は、もうこの家にはない、父が母に贈ったという壺の話がお気に入りで、繰り返しそう母に尋ねたものだった。

 雛鳥が同じ話をしつこくねだっても、母は嫌な顔をせず、笑って何度でも答えてくれたので、終いには雛鳥は、側面に空を飛ぶ蛇の描かれた、水瓶としても使える程の広い口を持つ、大きな壺の姿を、まるで実際に自分の目で見たかのように、詳細に思い描けるようになったのだった。

 このように雛鳥と母は、とても仲が良く、いつも一緒だったので、囲いの集落の人々からはよく、「まるで二人で一人のようだ」とからかわれたものだった。

 そう言われる度に雛鳥は「ええ、そうよ。お母さんと私は二人で一人なの」と満面の笑顔で答えていた。

 しかし勿論、どれほど仲が良く、通じ合っているように思えても、雛鳥と母は、本当に同じ人間だった訳ではなかった。

 だから雛鳥が、空を飛ぶ蛇が見える、と母に伝えた時。母は、雛鳥と同じものを見ることはできなかったのだ。